海に溶かす

今日、若洲海浜公園で海を見てきた。海を見つめるのは好きだ。頻繁に行くわけではないが、ふとした拍子に、そうだ、海を見よう、と思い立って行くと時間を忘れてしまう。いや、本当は時間を気にしつつ時間を忘れているのだが。とにかく、やはりいいものだなと感じた。

 

波のさざめきと身体にかかる飛沫の冷たさを思うと「心が洗われる」なんて言い方をしたくなるが、それは俺にとってちょっとズレた言葉の選択かもしれない。海を見に行く動機は「心を溶かす」ためである、と思う。波のうねりは汚れを落とすような動きではなく、手招きとしての動きに思える。その手招きに応じ、視線に心を乗せて海に溶かす、「見つめる」のである。そうやって溶かし切り、しばらくした後に海辺に立つ身体へと濃縮させて注いでから帰路につくのだ。

要するにリフレッシュ感というよりかは、海と一体となれるような感覚が好きなのである。心ここに有らず、地表の約7割に有り。

 

ところで、どちらかと言えば厳かな海の方が好きだ。つまり、傍らに生えているのは椰子の木ではなく松である方が俺の心は溶けやすい。どう言えば良いのだろうか、スカイブルーの海には空にそのまま流れ込み飛んでいける爽快な揚力が働いている。これに対して、ウルトラマリンの海は宇宙への沈下口である。そして俺はこのときの無重力にこそ惹かれ、そこに重さを感じたいのである、そんな感じだ。まあどちらが好きかはその時の気分とか状況にもよるだろうし、まずもって地元の海が俺にとっての海なのだから環境のせいもあるだろうけども、今は厳かで静謐な海が好きだ。つまり俺は結構厳かマニアなのである。

 

 

眠いので続けば続く(=続かないなら続かない)