けっぱれノケモン〜げろげろ道中 毒毛虫蕎麦大盛り(400グラム)〜

・毛虫の話をします。なぜ?

伊達成実の兜の前立ては毛虫である。毛虫は決して後退しないからだそうだ。ヒューヒュー伊達男ォ!

ここで人間の生における後退に関して一席ぶとうと思ったんですが、ふたつ思いついたのでどっちがいいか考える時間をくれ。

 

①前進だと思ってたことが後退だったりはたまたその逆だったり、もっと言ってしまえば前進後退の基準となる線はその人が死んでから他の誰かによって初めて意味付けられるものでしかないだろうと思うので、当人はその時々の心に従って、とはいっても本当に心に従うのって難しいから感情の端緒をきちんと掴み取った上であれやこれやが積み重なった感情の末端を認知しなければならないんだけども、そのようにして今この瞬間の連続を生ききるのが一番気持ちがよさそうだなと思うんだけど、そう考えると本質的には分からないものでありながらも生の途中で当人が前進後退の基準線を持つのならば、感情の端緒を掴み取れているかいないかというものさしが一番有用というか便利なのかなと思いましたね、という話

②デコが後退している気がする、という話

 

②だな。もともとデコが広いんだけどなんだか後退していっている気がする。ハゲたくねぇ〜。ハゲタク(刃外良拓哉。電気シェーバーの外刃を作り続け30年、遂に全男性に良いと評価されるものを作り出し、ノーベル電気シェーバー賞を受賞した拓哉さん)の膵臓を食べたい。

 

・徒然なるままに蜩の抜け殻を明後日の方向に投げたら最寄りのケーキ屋が潰れ羊羹屋になりました。これをシケイダエフェクトと言います。そこの芋羊羹が絶品で、その滑らかさは例えるならオオムラサキの羽ばたきの如し。こちらをバタフライエフェクトと言います。

 

・出身県の藩の大名行列のちんちんの数(つまり男の人数)を2乗した値が、あなたの懐の深さです。単位は尺。ちなみに尺八は一尺八寸の略ではなく、尺取虫愛好家の八つぁんのちんちんのサイズに由来しているという説が最近のトレンドです。ここで都々逸を一句。

好きなあの娘の尺八見たくて虚無僧になる世界線

 

・遺書に書きたいことリスト

①好きなゾイド(デススティンガーとガンスナイパーが好きです)

②幼稚園の頃鼻血がうまいと感じていたこと

③ネズミの可愛さ

④四方山話

⑤漏斗の便利さについて

⑥「あちき」という一人称を使っている女を見たという嘘

⑦玊

コモドドラゴンをススキの生い茂った河原に解き放ちたい願望

❾←これだけ黒地に白抜きです

⑩バイバーイ🚪

メモ小出しマン

冷凍の鶏胸に名を問うてみる/南極点に白カラス飛ぶ

 

竹取の翁に名を問うてみる/ボイジャーたちは愛を囁く

 

缶ビールのプルタブに名を問うてみる/ポンペイの町に朝餉の匂い

 

おきぬけの罪の味いつまでもあの苦さがしみる、訳にもいかず

 

幕の内弁当ひとつの味の価値降ってた雨に別れを告げた

 

喉の奥バニラアイスと血の味が血って案外イケるものだね

 

見えてます!被験体でもピエロでも大英雄でも旗を立てよう

スッポンパンツのおじいちゃん

スッポンパンツ、というものを知っているだろうか。正面の丈はブリーフ程、後ろはトランクスよりも長いという前後非対称の独特な形状で、薄茶色をした綿素材のパンツのことである。なぜスッポンというネーミングなのか正気を疑うが、確かにスッポンっぽいっちゃあスッポンっぽかったので許した。いや、やっぱりスッポンぽさってよく分からないので許しません。

昭和の中頃に急激に流行り急激に廃れたらしく、店頭で見かけたことがないので恐らくもう入手は不可能か、そうでなくともめちゃくちゃ厳しいと思われる。平成に入った頃にはもう既に、ああそんなものもあったな、なんだったんだろうなアレ、という感じで忘れ去られていたようだ。

 

中学の頃に亡くなった父方の祖父はそんなスッポンパンツをなぜか大量に持っていた。よっぽど履き心地が気に入ったのだろうか、詳しい理由はもう分からないが流行った頃に100枚近く買い込んだらしい。

パンツを100枚買うなんて金の使い方としてはどう考えてもクソアホなのだが、急激に廃れてしまったことを考えるとなかなか稀に見るファインプレーである。気に入ったパンツを死ぬまで穿き続けられるのは多分とても幸せなことだし、金玉袋も生涯添い遂げるパートナーがいてさぞ心強かっただろう。

 

そういえば一緒に風呂に入ると、風呂上がりに必ず「大人になったら穿かせてあげるよ、まだまだ一杯あるから」と言っていたような……。当時はダサいとしか思えずに絶対いらないなんて突っぱねてたけど、そんなレアモノなら一枚くらい貰っておけば良かったなあ。長らく父方の実家には行っていないが、まだ残っているのだろうか。その確認のためだけに、久しぶりに顔を出してみたい気もする。

 

 

 

 

 

 

あ、全部ウソです。スッポンパンツなんてないし父方の祖父は生まれる前か幼少期(どっちかは忘れた)に亡くなったので記憶にないし、パンツを100枚買うのは普通にクソアホ。

 

よかった!

背骨ができた、と思う。

信念というより、これがあってようやく立てる!という感じなので、背骨と呼ぶことにする。

 

少し前に「これかな?」と気づき始めていたけれども確信が持てなかったものが、まあ確信したと言ってもいいんじゃないかというくらいにはなった。疑い続けるだろうけれどもとりあえずは確信したことにしよう。

その内容に関してはまだ(多分ずっと)明確にし続けている最中だし、今の心境としては「目の前にいるそこのあなた」に対して対話の中で伝えたいので、ここでは胸の奥にしまっておこうと思う。そしてちゃんと言語化できるように力を注ぎたい。

 

とにかく俺は背骨を得たのだ!

やっぱり生きててよかったよ!無駄じゃなかった!生かしてくれた人々よ、ありがとう!

 

ハンガー

空腹は精神衛生において最大の敵である。いや最大というのは嘘で、結局は悩みの本体がラスボスなのだが。とはいえその悩みを解消へと近づける為にも、健康的な食生活を維持して少しでも精神を安定へと持っていくのがよい。メシを食う気力がないときのために、すぐに食べられるものを常備しておくと吉だ。例えば俺の場合は、ウイダーとかのゼリー飲料が一番ストレスなくとっつける。

 

とはいえ、めちゃくちゃキツいときはメシを食わないことでなにか罪滅ぼしをしているような気になってくるから困りものだ。でも大丈夫。①お前に罪はないか、②お前の罪はその程度では償えないか、のどちらかであり、大抵は前者である。ま、なんか食おうや。

 

ところで、極端な空腹状態は本能的に死の危機を察知してパフォーマンスが上がる云々、感覚としては分かる。実際は上がっていると思い込んでいるだけな気もするけど。とにかく別の人格を降ろせるのは間違いない。だからまあ、たまに断食してみるのも悩み解消の一つの手段なのかもしれない。ただしこの状態を維持しようとするとどうなるか。当然餓死する。チーン。

 

という訳で、日々を生きるときにはまずこれを肝に銘じよう。

ハラが減ったらメシを食う。痛くなったらすぐセデス。

 

 

 

前置きはこの辺にして、本題に入ります。

ハンガーで頭挟むと首回るやつ楽しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(ハンガー反射と言うらしいです)

極楽への風

天気というものはそれなりに変化があった方が良い、と思う。暖かい方が生命の躍動を感じるし、晴れていれば毛穴一つ一つが開かれるような開放感があって好きなのだが、晴れ続きだとなかなかどうして味のなくなったガムを噛み続けている気分になってくる。そんなシラけた晴れが味を取り戻すために曇りや雨はあるのだと思う、基本的には。

 

と述べた上で、今日の快晴はこの気候が永遠に続いてほしいと思うくらい心地の良い一日だったのだ。思うに、それを決定付けたのは風だったと思う。多分、風。

それはまるで極楽へと連れていってくれるんじゃないかと思うほどに最適な風速と涼しさだった。今日ほど鳥になりたいと思った日はない。いや、幸いにも最近なにか翼を得たような心境なのだ。もしかすると俺は今日、まごうことなき極楽にいたのかもしれない……。

 

ところで昼間立ち寄ったコンビニの駐輪場にスズメの死骸があった。いや、ホントに極楽に行ってどうすんだよ。

愛の短歌2019初秋

涼しさと寒さの狭間頼りたいわけではなくて触れたいだけだ

 

右手にボールペン左手に消しゴム だけど書かずにはいられなくて ※

 

選ばれなかった世界に抱擁を。選ばれずいる世界に祈りを

 

太陽も蛍光灯も明るさにさして違いはないかもしれない

 

暖かい いつまでも持ち続けるさ朝焼けの街を照らす松明 

 

 

 

※俺は左利きです、念のため